幸彦的主体








幸彦的主体



関 悦史





 みづいろやつひに立たざる夢の肉


 幸彦の句は屹立しない。

 幸彦が多用する語彙は「しゃがむ」「流れる」「濡れる」といった強い流動性と不安定性を帯びたものである。「巨人泳げる海ゆつゆつとかたおもふ」「油屋の三女の顔を濡らして婚」「雄鶏の睨みし天に流るるもの」「白地着て流るる頃を流れけり」「泳ぐかなやさしき子供産むために」「あたし赤穂に流れていますの鰯雲」「天界や横より雨のごときもの」「血の如く醤油流るゝ春の家」「人の世に水汲む姿ありにけり」「天秤の弱き姿勢や寒卵」「寒天やしやがまる妻の熱き映画」等その作例は枚挙にいとまがない。樹木が出てきた場合ですら「妻と少し横に生長する木を担ぐ」と、垂直にではなく横へ生長してしまう。

 「言葉とほとんど同時的に存在してしまう意味なるものにとても不快を覚えてしまう」(『鳥子』後記)という発言に顕著な意味性の否定にくわえてこの流動性。ここからすぐに夢のようなといった評語が浮かびするが、しかし幸彦の句と夢との間にはある違いがある。

 幸彦の句には「われ」がほとんど現れないのだ。
 全句集の中から拾える「われ」の句は、わずかに以下の四句だけである。


 朝市の遠くに我やわれ思ふ

 我思ふ故に猫あり春の小火

 階段の途中にわたしの灰を置く

 いゝですか汝こそ我そ真葛原


 夢の中での主体は、例えばある対象物が落下しているとき(肛門的投射)、次の瞬間私がその対象になっており(摂食による口唇的同一化)、見ている私と見られている私が容易に二重化され、対象としての私が坂を上って主体の再統一化(性器的、自己愛的同一化)を果たすといった分離と再統一化のダイナミズムをもち、揺れ動いている。

 この四句はそうした分離−再統一化の要素を持っていないわけではないが、「朝市の遠くに我やわれ思ふ」の二つのわれも、「いゝですか汝こそ我そ真葛原」の汝と我も位置関係に上下の差がなく水平であり、「我思ふ故に猫あり春の小火」はデカルトをもじって、われの代わりに猫が存在してしまったずれを「春の小火」に形象化した句で、この我もいわば機能として呼び出されているのみで、通常の近代俳句における「我」でないのはもちろんのこと、夢における「我」でもない。

 「階段の途中にわたしの灰を置く」はやや毛色が異なる。
 境界領域=階段に自分の灰を置くとなれば、このわたしは生死のあわいの領域にいることになり、幸彦には珍しいわたしを主題にすえた句とも見えるが、しかし夢に自分の分身が直接現れるといった事態は通常ないのではないか。寓意的な構成の句と取った方がよい。幸彦の句はその印象に反し、夢の世界を素描した句ではない。

 とはいえ幸彦には次のような作品もある。


 古羅馬の玉座に何の寒卵

 太古(おほかみ)の余りに毬を発見す

 サーカスの子ら横浜の雲となる


 夢においてあるものが消え、代わりに別のものが現れた場合、在不在を入れ替えたその二つは同じものを指している。
 ここでは消え去った古代ローマの皇帝と現れた寒卵、消え去った太古と現れた毬、消え去ったサーカスの子らと現れた横浜の雲はそれぞれ等価である。気がつけば意外なものが突如として目の前に現れているという感覚は、夢に特徴的なものである。

 つまりこれらの句では夢の文法が踏まえられている。
 幸彦の句は夢の文法を用いつつ、そこから「われ」に直結する回路だけを周到に避けたものと言える。


 何故に書くかという問に対する答の一部に、どうやら、私は私らしいものでありたいとする希望が含まれるらしい。
  しかし、何故に、私が私であってはならないのかと反問するや、再び何故に書くのかという問が重たく私にのしかかってくる。
  私がまさに私である時、一体、私は何を何故に書こうとするのだろうか。


 という特異な「私」探求の試みが幸彦の底流を貫いていたことは、幸彦の読者には周知であろう。
 幸彦はまた『與野情話』あとがきでこうも言う。


 「私」から「私でないもの」へ絶え間なく往復を繰り返す振子のようなものを、仮りに想定してみると、その振子は、ある一定の速度のもとで、振子そのものの姿を見極めることが可能でない状態において、扇状の透明でない空間を構成する。そして恰もその振子は一瞬たりとも、「私」と「私でないもの」の位置には留まらないように見える。
  実はこの透明ではなく、ある色調を帯びた扇状の空間こそ、私が私の在所として最も欲していたものに他ならない。


 ここで言われている「扇状の空間」は、句のなかにどのように実現されているか。これは幸彦はいかに「意味」を回避したかと言い換えてもよい。言葉と同時にたちあらわれてしまう「意味」を幸彦は深く忌避していた。

 なぜ意味を回避しなければならないか。
 意味は不可避的に安定した主体を形成してしまうからである。
 例えば加藤楸邨が「鰯雲人に告ぐべきことならず」と書けば、読者はなにごとか沈黙を通さねばならぬという決意を固めた楸邨的主体にたやすく同調でき、高濱虚子が「遠山に日の当たりたる枯野かな」と書けば、そうした光景が慕わしいとする虚子的主体にこれもたやすく同調できてしまう。意味の日常的平易さは、主体という虚構の自明視にたやすく直結してしまうのだ。

  こうした幸彦の営みは、自分の思いを述べる「述志」を離れるだけでなく、モノに徹するといった即物的な態度をも突き抜けざるを得なくなる。無意味さの根拠としてモノに頼ることは、裏返しのロマンティシズムに陥りかねないからだ。

 主体と非主体との間の扇状の空間を書くとは、その扇状の空間に能動的に働きかけ、世界に投げ出されている不可解な主体を定着させることである。しかしだからといって意味の桎梏のもとにその空間をおさえつけてはならない。それは支配化・属領化につながり、ひろやかな扇状の領域はただちに日常性や寓意の中にからめとられ、窒息する。曖昧な扇状の領域は、曖昧なままに生かしてとらえなければならない(「流れる」「濡れる」の流動性、「しゃがむ」の不安定性はこの希求に発したものだろう)。

 方法のひとつとして用いられるのが取り合わせ(=デペイズマン)だが、非意味といっても幸彦の深層に触れぬダダイスティックなナンセンスでは意義がない。ここで幸彦は素材を自分が偏愛するものたちに限る道を選ぶ。昭和前期のノスタルジックな風物の偏重が始まる。


 路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな

 幾千代も散るは美し明日は三越


 後者のほか、多くの句で用いられる地口・シャレも夢におけるイメージ転換の重要な技法である。幸彦はここでも夢の技法を駆使している(ついでにいえばより伝統寄りに見える作家だが、「あかつきの佛間を出でて噴井かな」「おほぜいできてしづかなり土用波」等の田中裕明による取り合わせにも、見かけよりはるかに不思議な、幸彦の句に通じる非意味の広やかさが感じられないだろうか)。
 もうひとつの重要な方法が抽象語の多用である。とはいえ


 完璧や餅に空耳ぶらさがる

 仏教や理髪の椅子も老いゆけり


  これらの句では「完璧」や「仏教」が抽象語だが、その下の「餅にぶらさがった空耳」や「老いてゆく理髪の椅子」がそれらの抽象語を図解するに留まっている。こうしたケースはこの際さほど重要ではない。

 幸彦句に現れる抽象語はみな具体物と同等に、しなやかで持ち重りのする物質性・官能性を帯びている。
 その嚆矢が「暗黒の黒まじるなり蜆汁」「暗黒と鶏をあひ挽く昼餉かな」の「暗黒」である。「階段を濡らして昼が来てゐたり」を小池光は「昼という名の女」と解釈したが、鶏肉と合挽きにできるようなマテリアルな「暗黒」を当初から身に住まわせていた作者の句なのだ。誤読と言っていい。
 多用される「亡父」「亡母」の「亡」の字も、肉親から生身の現前を剥ぎ取って記憶の彼方に押しやり、抽象化する機能を果たしている。

 というよりも、おそらく事態は逆なのだ。
 抽象語が肉体性を帯びているのではない。幸彦句においては具体物をさす語が、全て透明にしなやかに抽象化されているのだ。原初的な記憶にもぐりこみ、郷愁に濾過されることによって。
 「南国に死して御恩のみなみかぜ」における天皇もそうして晒しあげられた官能的な抽象である。のちに『陸々集』に収録される句日記連載中の幸彦がたまたま昭和天皇の崩御に接し、この時事を句に取り込めなかったのは当然であった。


 人間個体を殺すことによってしか生成しえないものが、「イメージ」なのである。「現実」を虚無化し、殺戮することで、生きて動く「現実」を死の供儀に捧げることで、初めて誕生しうるもの、輝かしい不在それ自体として現前しはじめることができるもの、それが「イメージ」だ。
           (松浦寿輝『表象と倒錯 エティエンヌ=ジュール・マレー』筑摩書房)


 幸彦におけるさまざまなイメージは全てそうした意味で、幸彦の中で一度特異なかたちで殺害されたものである。幸彦句のイメージは全て不在である。


 千年やそよぐ美貌の夏帽子


 この無時間の中に停止しつつやわらかな輝きを放つ句は、その代表例であろう。

 先に私は、非意味といっても幸彦の深層に触れぬダダイスティックなナンセンスでは句作する意義がないと書いたが、これは必ずしも幸彦が個人的な郷愁のみを具体化していることを意味しない。
 ラカンは、われわれは見る存在ではなく世界に見られる存在であり、そしてそのことには満足があるという。


 我われを取り巻き、まずは我われを視られる存在にしてしまうこの眼差し、それは姿を現さない眼差しです。
  世界の光景はこの意味で我われにとってすべてを視ている者として現れます。
           (ジャック・ラカン『精神分析の四基本概念』新宮一成他訳)


  ラカンは《もし世界が眼差しを挑発しはじめたなら、そのときには不気味さもまた始まります》とも言う。『危機と闘争』での井口時男はそれを踏まえてこう指摘していた。「原初の世界の立ちあらわれにおいて、「満足=愉楽」は「不気味さ」と連接している」。
 幸彦の句は世界の側からの眼差しにゆるやかに押し流され、なかば開かれつつある主体による、記憶の底の畸形的なイメージたちの流動を、流動のままに定着させようという試みである。

 ところで幸彦には《洗われる花》ともいうべき主題の一群の作品がある。


 花磨く研師や堀川東入ル

 昼顔を洗いなほしておをとこ発つ

 向日葵を拭ひて西の仕度せり

 宇宙これ洗濯板にヒヤシンス

 ええ花買ふて額をやうく拭ひやる

 祈りこのマリーの花に尿るかな


 単に濡らされるだけの植物という句であれば他にも多数あるのだが、花を洗う行為とは一体何か。
 「をとこ」が「発つ」たり、「西の仕度」(死に仕度であろう)をしたり、「祈り」や「宇宙」論に転じたりと、何やら決定的な契機を孕んでもいるらしいこの奇妙な行為。

 ここでは世界の側から見られるという体験を、幸彦的主体がそっくり花(に代表される世界)にさしむけ返しているのではないか。このとき再びあの振子の往復運動が、今度は幸彦的主体から世界へと逆向きに開始される。扇状の空間が再び開かれる。しかし幸彦的主体はその二極を統合することは決してない。
 無時間=永遠の揺れ動き。
 そこに幸彦がおり、それが幸彦の花鳥諷詠である。


 南浦和のダリヤを仮りのあはれとす

 口笛を吹きつゝダリアを軟禁す

 押入れのダリヤの国もばれにけり


 「仮りのあはれ」とされるダリア。
 押入れに秘密の国を築いていたり、軟禁されたりと、他の花よりもやや親密の度が高いらしいこの花はしかし一度も《洗われた》ことがない。

 ダリアが洗われたとき、「仮りのあはれ」は「まことのあはれ」になってしまうのかもしれない。しかし「まこと」といった安定した主体による求道の境地は、幸彦として何としても避けたい、身にそぐわぬものだったのだろう。




   参考・新宮一成『夢と構造』弘文堂
       新宮一成『夢分析』岩波新書







 (『―俳句空間―豈』43号 ANI 2006.OCT.〈特集・攝津幸彦没後十年〉掲載・応募稿)




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